年 表
1931 |
9.18 |
満州事変(関東軍は柳条湖事件をおこし、15 年にわたる戦争の発端となる)。 |
1932 |
3.1 |
「満州国」の建国を宣言。 |
5.15 |
5・15 事件。 |
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10.15 |
試験移民開始。
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1933 |
2.24 |
日本を除くすべての国際連盟加盟国は「満州国」を不承認。 |
1936 |
2.26 |
2・26 事件。 |
8.25 |
広田弘毅内閣が七大国策を決定。20 年間で開拓民 100 万戸、500 万人の送出を計画。 |
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1937 |
7.7 |
盧溝橋事件。日中戦争開戦。 |
11.30 |
第1次近衛内閣「満蒙開拓青少年義勇軍」の送出を閣議決定。 |
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1939 |
12.22 |
満州開拓政策基本要綱決定。移民を重要国策と位置づけ。 |
1941 |
12.8 |
太平洋戦争開戦。
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12.31 |
第二期五か年計画要綱策定、5年間で開拓民 22万戸、110万人の入植を計画。 |
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1945 |
4.5 |
ソ連は日ソ中立条約の不延長を日本に通告。 |
5.30 |
満鮮方面対ソ作戦計画要綱を策定。満州の 4 分の 3 に及ぶ地域の防衛と邦人保護を放棄した。 |
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7.10 |
在満邦人のうち 18 歳以上 45 歳以下の男性を一斉召集(根こそぎ動員)。 |
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8.9 |
ソ連軍満州に侵攻。開拓団民の逃避行始まる。 |
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8.14 |
日本外務省が「ポツダム宣言受諾に関する在外現地機関に対する訓令」を発する。居留民はできる限り現地に定着させる方針。 |
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8.15 |
日本無条件降伏。
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1946 |
5.5 |
コロ島より満州からの第1次引き揚げ船が出港。48年8月の中断までに約104万人が引き揚げ。 |
1949 |
10.1 |
中華人民共和国成立。日本は承認せず、日中国交断絶。 |
1951 |
9.8 |
サンフランシスコ平和条約調印。日米安全保障条約調印。 |
1952 |
12.1 |
中国が在留邦人の帰国を支援する意思を表明し、民間レベルでの引き揚げが開始された(中国紅十字会と、日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会との間で北京協定締結)。 |
1958 |
5.2 |
長崎切手展で中国国旗侮辱事件が発生し、民間レベルの引き揚げ中断。 |
12.1 |
未帰還者の特別一斉調査。中国地域の未帰還者は約 2 万 2000 人。
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1959 |
3.3 |
「未帰還者に関する特別措置法」公布。未帰還者の多くに戦時死亡宣告、戸籍抹消がなされ、調査が打ち切られた。 |
1966 |
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文化大革命始まる(〜1976 年)。 |
1972 |
9.29 |
日中共同宣言。日中国交回復。 |
1973 |
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民間レベルでの肉親探し開始。 |
1981 |
3.2 |
日本政府による訪日調査開始。 |
1984 |
2.1 |
中国帰国孤児定着促進センター(埼玉県所沢市、後に中国帰国者定着促進センターに改称)開所。 |
1994 |
4.6 |
中国残留邦人支援法公布。 |
2002 |
12.20 |
中国残留孤児が国家賠償を求め、東京地裁に提訴。集団訴訟始まる。 |
2004 |
3.30 |
兵庫県などに住む中国残留孤児が神戸地裁に提訴(兵庫訴訟)。 |
2006 |
7.14 |
兵庫訴訟が結審。
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12.1 |
兵庫訴訟で、神戸地裁が原告勝訴判決。国に賠償命令、全面解決を迫る。 |
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12.11 |
国が神戸地裁判決を不服として控訴。 |
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2007 |
7.8 |
全国の原告代表が、与党PTが提示した支援策の受け入れを決定。 |
7.29 |
参院選で自民党が大敗。9 月、安倍首相が辞任。 |
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11.28 |
改正中国残留邦人支援法が成立。 |
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2008 |
2.22 |
兵庫原告団が訴訟を取り下げ。 |
4 |
新支援策開始。
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