明治維新後の日本は,近代化の名のもとに,富国強兵、帝国への道を歩み,日清戦争,日露戦争を通じて台湾,朝鮮を植民地にし,さらに1931年満州事変を起こし傀儡の国家「満州国」(中国からは「偽満州国」と呼ばれている)を建国した.多くの日本人が満州に渡り,日本の農村を中心に32万人の人たちが「開拓民」として満州に移住した.太平洋戦争の戦局が厳しくなると開拓村の男性は徴兵され,村には老人と女性と子供だけが残された.そして敗戦間際の45年8月9日,ソ連の大軍が国境を超え,満州に侵入した.開拓民はソ連軍からの避難行,さらに厳寒の越冬生活の中で多くの犠牲者が生じた.特に満州の奥地に住んでいた開拓民に多かった.生きるすべを失った女性や子供たちは中国人の家庭に入り,中国人に養育された.ところが,国は,中国内戦が終結し、新中国が建国されて以降も,彼らを帰国させる措置を採らなかった.この間,かれらは,「日本鬼子」と言われながら,その後の中国社会を,さらに文革期を懸命に生き延びた.1972年の日中国交回復を知り、帰国への希望を抱いた者も多い中、残留孤児の訪日調査が開始するまでにはさらに10年近くを要し,また,帰国を希望する者が親族の同意なしでも帰国できる制度ができるまでにはさらなる年月を要した.中国残留日本人とはこのような経緯で苦労を重ね日本に帰国した人たちである.
しかし、帰国後の生活の保障はなく,日本語も話せない中で働き,今なお言葉の壁,習慣の壁で,日本社会から孤立して暮らしている.
-