コスモスの会尼崎日本語教室は、中国残留日本人とその家族のために日本語学習を中心にした支援事業を行っています。
1945年中国大陸「旧満州」で、多くの日本人が敗戦前後の混乱に巻き込まれて命を落とし、その後の厳寒の地での越冬生活の中、飢えと寒さでさらに多くの人たちが命を落としました。
命を繋ぐために中国人の家庭に引き取られた女性や子供たちは侵略者「日本の鬼の子」といじめられ、その後の「文化大革命」の厳しい時期を耐えて生きてきました。
1972年中国との国交が回復しましたが、日本人を帰国させるための支援施策はなく、国の身元を特定するための訪日調査が始まるまで9年の歳月を要しました。当初は身元が判明しても「身元保証人」が求められ、親族の同意がなければ帰国できないなどの理不尽な問題もありました。さらに帰国できても日本語の学習や就労の為の十分な支援は受けられず、日本語を十分に身に着けないまま生活のために働き、高齢化しました。彼らは今なお、日本語が十分に話せず不自由な暮らしをしています。
コスモスの会尼崎日本語教室は彼らの「日本の地で日本人として人間らしく暮らしたい」という願いを受け、支援者の熱意によって2008年4月に開設されました。そして同年10月から尼崎市の委託を受け、改正中国残留邦人支援法による支援事業として、また(公財)兵庫県国際交流協会との共催事業「外国人県民・児童生徒の居場所づくり事業」としても実施しています。2011年からは毎月1回の文化交流教室も併設し、現在、約40人の学習者が参加しています。