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みちのり

みちのり シリーズ L

田中 修 (タナカ オサム)さん 1941年11月21日 大阪市生まれ 兵庫県尼崎市在住



田中 修さん
突然同級生から日本人と言われた

 私は自分が日本人だとは全く知らなかった。哈爾浜市香坊区で優しい養父母と3人で、暮らしていた。養父母は二人で飲食店を営んでいたが、店をたたみ父は清掃の仕事、母は飲食店で働き始めた。生活は比較的裕福で私は大切に育てられていた。養父母を疑うこともなく学校に通っていたが、高校生の時、突然同級生から私が日本人だと言われ驚いた。

兄から聞いた私の出生と家族
 兄の話によると、私の家族は大阪府の吹田で暮らしていた。私はそこで1941年 11月21日に生まれた。5人兄弟の下から2番目だった。
父は大工だったが、召集され何度も中国や満州に行きその頃、開拓団に加わり満州に行くことを決めた。
43年、大阪から送り出された昇平開拓団に加わり、ハルビンの西、濱江省肇州県昇平鎮に入植した。父は入植した次の年に亡くなり、母は1人で開拓団の共同作業に参加した。45年8月、日本が戦争に負けた時、開拓団はどしゃぶりの雨のふる泥道を鉄道の通っている安達に逃げ、多くの人が亡くなる中、私の家族は馬小屋で暮らした。12月になって、列車でハルビンに出て、花園小学校に収容された。
母は兄弟には知らせず、私と弟を中国人に預けた。その時から私は香房に住む養父母と暮らすことになった。その後、母は収容所で亡くなった。日本に帰国できたのは姉と兄だけだった。私と同じく中国人に預けられた弟もその後亡くなった。

勉強が好きで大学へ行ったが
 日本人であることを知った私は驚くとともに、当時自分が日本人であることを恥ずかしいと思った。その後は「小日本鬼子」と言われ、いじめられたが、じっと耐え勉強をした。
勉強は好きだったので養父母に励まされ、ハルビンにある大学・東北農学院に入学した。
しかし、専攻学科である農業機械生産機械に興味が持てず、友人と二胡の演奏に夢中になり、自宅で演奏したりしていた。結局、友人3人と大学を中途退学し、哈爾浜市内の運送会社に就職し経理の仕事をした。

5人の子宝に恵まれた
 結婚したのは21歳の時だった。養母が妻の兄と同じ食堂で働いていていたので紹介された。そして養父母の家で4人で暮らした。その後2男3女が生まれ、家族9人で賑やかに暮らしていた

残留婦人が帰国の橋渡し
 当時、日本に帰る気持ちはなかったし、帰ることもできなかったが、日中国交が回復した後、日本のことを意識するようになった。その頃、近所に住んでいた残留婦人が日本に里帰りし、国や大阪府に私のことを「近所に残留孤児が住んでいる」と伝えてくれ兄が私を探していることを書いた新聞記事を見せてくれた。その時から日本に帰ることを考えるようになった。
79年10月、兄が手続きしてくれて日本に一時帰国した。その時、子どもは18歳を過ぎると帰国しにくくなるから18歳になる長男と15歳の次男を連れて帰るようにと、兄は言ってくれた。私は二人の子供たちといっしょに「日本を見に行こうか」という程度の気持ちで一時帰国した。

兄の説得で永住を決意
 しばらく兄のところに滞在しているうちに、兄は身元を引き受けるから、このまま日本残るようにと熱心に私を説得した。中国に養父母や妻子がいるので、永住は無理と思ったが、兄の強い勧めで永住する気持ちが強くなった。息子2人とそのまま日本残り、永住帰国した。兄家族の近所に住み、親子3人で暮らした。日本語がわからなくて困り、自立指導員の勧めで、生活保護を受けながら大阪の日本語学校へしばらく通った。
はじめに新聞配達の仕事をしたが、間もなく自立指導員の紹介で尼崎の旭硝子で働いた。中国で高校生だった長男は学校には行かず働いた。次男は尼崎の公立中学校へ中途入学した。病気や生活で困った時は、兄が助けてくれた。一方、妻はハルビンで養父母と3人の子供たちと暮らしていたが、養父が亡くなり、その後街の工事で家が解体されたので、養母は自分の兄弟の所で暮らすようになった。91年、妻は子供2人と共に来日し永住を決めた。チチハルの医科院を卒業し病院で働いていた長女も92年に日本に永住し、13年ぶりに家族7人全員が揃った。

妻が一家の大黒柱
 私は旭硝子で働いていたが、持病が頻繁に起こるようになり、92年に働けなくなった。子供2人はまだ学業途中だったので、妻は永住直後から古着屋で働き、その後はパン屋で働き生活を支えてきた。今は中国残留邦人への支援給付を受けながら、趣味の書を書いたり、歴史書を読んだりし、夫婦で尼崎日本語教室にも通っている。


(聞き手  宗景正・田村博志)このページの先頭へ

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