牡丹組で学習する韓恵仁さん
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牡丹組の韓恵仁さんをご紹介します。韓さんは中国残留日本人(バラ組の松倉秀子さん)の配偶者です。
問:いつ日本に来られましたか?
答:1989年、妻の帰国時に一緒に来ました。
問:今までで一番の苦労は?
答:仕事中の事故で肋骨を3本折った時、病院へも連れて行ってもらえなかった。怪我で入院した時、酒に酔った入院患者に突然ビール瓶で頭を殴られ7針縫う大けがをさせられた。体力があったので定年も2年延長されたが、必要でなくなると「明日から来なくていい」と首切り。有給休暇24日分の支払いはなく、退職金も1ヶ月だけ(日本人は3ヶ月)。仕事がどんなに厳しくても頑張って耐えたが、中国人ということで差別された。
問:なんとつらいご経験でしたね。
答:その後も言葉の壁で職探しに大変な苦労をしたが、63歳まで働きました。
問:今、一番楽しいのは?
答:夜間中学で学ぶのが一番うれしい!楽しい!幸せです。
問:日本語教室はどうですか?
答:今、宝塚と尼崎と2か所に行っています。
問:今までで一番よかったことは?
答:う〜ん・・・・・・(奥さんと出会えたことですか?の問いに)あまり考えないようにしている(と、はずかしそうに顔を赤らめておられました)。
身体は大きく力持ちだが「優しくて、チョッピリ照れ屋」の韓さん、尼崎日本語教室への注文を遠慮しながらも言ってくださいました。これからも一緒に日本語教室を良くしていきましょう!