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コスモスの会は中国残留日本人を支援する団体です。

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みちのり

みちのり シリーズ N

太田有紀(オオタ ユキ)さん 1941年中国遼寧省鞍山市生まれ 兵庫県尼崎市在住



太田有紀さん 自宅で






夫、魯習増さんと自宅で
いつもお腹をすかせ、鶏の世話をしていた

中国人の養父母に育てられ、近所の人からは「小日本児」と言われていた。養父母には私を入れると9人の子供がいて私は上から3番目だった。養父は鉄工場で働き、収入は悪くなかったが、家族が多いので貧しかった。養父の稼ぎでは足りないので家で鶏を500羽ほど飼っていたが、その世話が私の仕事で、餌は野原に草を採りに行った。
養母は私にだけ辛く当たり、時には血が滲むまで殴られた。学校は小学校6年生まで行かせてくれたが、いつもお腹を空かせていた。

孤児になった事情
養父は、若い頃日本で靴職人として18年間働き、日本人女性と結婚していたが、用事ができ中国に帰ったのち、自分の父に反対され、日本の女性のもとに戻ることができなかった。
1943年、満州の鞍山製鉄所の町で暮らしていた私の両親は事情があって、当時2歳だった私を親しかった養父に一時のつもりで預けて日本に戻った。その後、父は日本で徴兵されて後に亡くなり、母は日本に帰国したまま中国に戻れなかったそうだ。そして私は預けられた養父母の家で成長した。

仕事、夫との出会い
小学校を卒業し、私は家事や兄弟の世話をした。働こうと思ったが、当時の工場は国営で働き手が順番待ちのため、すぐには働けなかった。18歳の時、近所の人の紹介で、やっと農機具の工場に入れた。実際の仕事は砲弾などの設計図面を作業現場用に書き写す仕事だった。当時の中国は大飢饉で、朝食は大麦のお粥、夜の食事は小麦の代わりにトウモロコシの粉に、木の葉を混ぜて焼いたものを食べていた。トウモロコシの粉も貴重で、入れすぎると叱られ、自分で作った食事を食べられないこともよくあった。私のことをかわいそうだと思ってくれた近所の人の勧めで寮に入ったのは20歳の時だった。
夫との出会いは私の事情をよく知っていた近所の派出所の所長だった人が夫と同じ工場に勤務し、紹介してくれた。夫は同じ鞍山に住んでいて、水道や暖房の配管図面を書くことや工事の仕事もしていた。結婚して子供は3人生まれた。

文革時代はスパイと言われ、糾弾された
66年から文化大革命が始まった。子供のころから自分が日本人であることは知っていたが、この頃になると工場の壁新聞に私が日本のスパイだと書かれ、貼り出された。糾弾され、技術職から工場の現場に転属させられ、空気が悪いせいで咳がひどくなった。隣人の助けで別の工場の食堂の倉庫管理の仕事に替えてもらった。76年文革の終わった次の年、私が「スパイ」とされたのは間違いだったと訂正され、元の会社の検査の仕事に戻された。

肉親捜しと鞍山会
79年、38才の時、市政府の外事課に呼び出された。何もしてないのに呼び出され怖かったが外事課では「悪いことじゃないから怖がらなくてもいい」「日本から日本人を探しているとの連絡が入った。あなたは日本人だ。日本へ行ってみませんか」と言われた。まだ文化大革命が終わって間のない頃だった。私は一人で日本に来ることになった。東京では私の住んでいる鞍山に満州国時代に住んでいた人たちの団体・鞍山会の人たちが集まり大歓迎してくれた。そして鞍山会の人たちが母を見つけてくれ、私は案内してもらいながら母の住んでいる名古屋に行ったが、母は会ってはくれなかった。母は再婚していて、相手が嫌がったからのようだった。

永住帰国
この時、鞍山会の人たちがたいへん親切にしてくれたので、日本に帰りたいと思ったが、すぐには手続きできず、帰国したのは84年だった。日本に来るのをためらっていた夫と当時琵琶奏者として活躍していた次女を残し、長男と長女を連れて帰国した。身元引受人になってくれたのは尼崎市に住んでいた鞍山会の坂口さんだった。埼玉県所沢の帰国者定着センターで半年過ごし、その後、92年頃まで横浜に住んだ。その時に夫が日本にやっと来た。それから4年ほどして、坂口さんが尼崎は鞍山と姉妹都市だし、友達もいるからと勧めてくれ、尼崎にやってきた。
しばらくして、96年、日本になじめない夫の希望で、鞍山市の田舎に家を買い夫と2人で中国に戻った。そこで農業をしていたが、新しい支援策ができて、2010年、子供たちが暮らしている尼崎に再び戻ってきた。夫は難聴がひどくなり、最近は家に引きこもりがちになっている。
私の人生の中で一番苦しかったのは文化大革命の時だった。その体験から「日本にどうしても帰りたい」と思うようになった。

(聞き手 吉村 清美)
(宗景 正)
(通訳 韓 静)






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