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コスモスの会は中国残留日本人を支援する団体です。

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みちのり

みちのり シリーズ J

今川 喜美子(イマガワ キミコ)さん 1941年1月香川県生まれ  兵庫県尼崎市在住



    今川喜美子さん 自宅で 
母は1年におよぶ逃避行の後、私を優しい中国人養父母に託した 

 穏やかな笑顔とハリのあるお肌が素敵な今川喜美子さん。今日に至るまでのみちのりをお聞きしました。
軍人だった父を追い、母と姉と共に旧満州の東安省へ渡った。1945年、父とは離れて暮らしていたため、敗戦の大混乱の中、母、姉、妹の四人で、東安から雪の中を一足一足、歩いて敦化県を目指し、1年かけやっとの思いでたどり着いた。途中、妹を2歳で、弟を生後3日で亡くしてしまう。その厳しいみちのりは5歳だったため、ほとんど記憶にないが、牛小屋で寝たこと、橋から落ちて大勢の人が死んだこと、暖をとるため牛糞に冷え切った足を突っ込んだことなどは覚えている。母は生き抜くため、断腸の思いで敦化県のホテル経営者夫妻に私を託し、7歳の姉を連れ、46年秋にコロ島より帰国した。

養父母は自分の子として
養父母は優しく、常に私をを守ってくれた。養父母は自分の子として医学校までいかせてくれた。吉林市で中学、高校を卒業し、林業衛生学校を3年で卒業して林業局関連病院に産婦人科医として勤務した。その後、大興安嶺林業管理区中心医院産婦人科に勤務した。

文革中、医師の資格で復職

66年、文化大革命が始まり、医師の仕事を外され、病院内の掃除などをさせられたが、資格があったためか、下放されることもなく1年で復職できた。そんな中で出会った養父と同じ吉林省出身で材木を運ぶ軽便鉄道の運転士をしていた姜国春さんと66年に結婚し、71年男子を得た。72年の日中国交回復後に群馬県出身の残留婦人が養父母の家を訪ね、実父母のことを教えてくれたが、帰国には至らなかった。そのことは今も残念に思ってる。

一度は帰国を断念したが、9年後に永住帰国

78年息子と2人で一時帰国し、尼崎の実母のもとで5ヶ月過ごしたが、言葉も通じず、財産のこと、親戚づきあいのことなど問題も出てきて、中国へ戻った。その後、日本は母国であることや政治的にも安定性があることを考え、息子のためにはやはり帰国するほうがよいと思い直した。北京には日本の大使館があり、そこでは医学も勉強できるので、85〜86年、北京の中国人民解放軍空軍総医院の医師として働き、エコー(腹部超音波検査)を勉強した。その間3度大使館に足を運んで、帰国の準備をし、87年一家3人で永住帰国した。しかし、言葉の壁、差別などで医療関係の職業には就くことができず、尼崎市内の電機メーカーに就職し、60歳の定年まで働いた。

中国の友人とも楽しく交流

今は中国の友人と交流するために、スマホで話をしたり、写真やメールを楽しんでいる。またコスモスの会で日本語を勉強し、皆さんといっしょに歌を歌うのが幸せだと語る。
今川さんが一番記憶に残っているという養父母と過ごした幼女期から思春期にかけての豊かな暮らし、そして養父母の深い慈愛が、現在の今川さんの教養や内面の強さを培い、そして若さと美しさにつながっていると思われてなりません。


 (聞き手 山本育子)このページの先頭へ

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