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コスモスの会は中国残留日本人を支援する団体です。

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みちのり

みちのり シリーズ D

川上茂(カワカミ シゲル)さん 1938年香川県生まれ 兵庫県西宮市在住

















川上茂さん、中央公民館の教室で




日本人なのに、なぜ自分の意志や判断で帰国できなかったのか

 1945年春、6歳の時、両親に連れられ弟、妹と共に黒竜江省勃利(旧満州)に渡りました。父が「青少年義勇軍」訓練所の教官に赴任した為です。
 終戦間近の8月、私たちは駅で父と別れて汽車に乗りました。途中、汽車は爆破され、山道を歩いて逃げました。道端には人や馬の死体がありました。何日も歩き続け、ある日、母がおんぶしていた妹を下ろすと、いつのまにか妹は死んでいました。妹は1歳でした。妹を山中に埋めた後、牡丹江にたどりつきました。私たちは疲労と恐怖でいっぱいでした。

 母の死
 母は自分の食べる分を私たちに与えて歩き続けたので、体力は限界に達していました。9月20日、母は病院のような建物で、畳の上に座って壁にもたれて目を開けていました。目に涙を浮かべて私と弟をじっと見て座ったまま死んでいきました。
 まもなく李さんという方が饅頭の入った篭一つと引き換えに私と弟を連れて行きました。牡丹江で、弟は李さん宅に、私は隣の郭さん宅に預けられました。間もなく弟は亡くなりました。弟は5歳でした。私は一人ぼっちの孤児になりました。

 孤児になって
 養父の郭さん宅では3食たべさせてもらい少しずつ体力が回復してきました。しかし暫くして、養父は土地解放問題のトラブルで撃たれて死にました。突然夫を失った養母は「お前のせいで死んだ」と言って私につらくあたるようになり、草刈、食事の手伝い、牛馬の餌やりをさせられるようになりました。寝小便をした時は、叩かれ、裸で冷たい地面に立たされました。
 共産党の政策で養母の土地が取り上げられた時、私は二番目の養母に預けられました。そして二番目の養母の土地も取り上げられた時、遠い山東省へ移りました。牡丹江では「お前はスパイだ」といじめられましたが、山東省では私が日本人の子であることを知っている人はなく、少し安心しました。この地での生活は貧しいものでしたが、ここで初めて小学校に2年間通いました。私は自分が日本人であることを隠し続けました。
58年、20歳の時、黒竜江省の山林防火員として就職し、30年間勤務しました。 24歳の時、知人の紹介で結婚。5人の子どもを設けました。
 86年、厚生省の中国残留孤児調査を知り、9月調査団に参加し、川上家の長男であることが判明し、シベリアに抑留された後、帰国していた父と再会 しました。

 新族が身元保証人拒否
 しかし帰国に際しては、つらい経験をしました。家族が身元保証人になることを拒否したのです。戻ってきても言葉の問題、生活習慣、文化の違いがあり、不景気で就職もむつかしく家族では支えきれないということでした。「故郷に帰りたい。長男として親孝行したい」という思いで一杯でしたが、当時は親族の保証人の承諾がなければ帰れませんでした。その後、日本での財産権を放棄することでやっと家族の承諾が得られ、89年、50歳でようやく帰国できたのです。 日本人なのに、なぜ自分の意志や判断で帰国できないのか。国の制度に怒りを感じています。

 今後に向けて
 今は尼崎日本語教室や夜間中学に通い、日本語を楽しく学び、多くの人との交流もあります。苦労もあったが昔は昔、今は今でわりきって考えたいと思います。そして、現在の平和で落ち着いた生活を大切にしたいです。


(杉本利一)このページの先頭へ

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