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みちのり

みちのり シリーズ O

奥山イク子さんのこと



2021年12月24日、自宅で






2006年12月1日神戸地裁判決の日
奥山イク子さん(左)と初田光雄さん
 2021年2月23日元中国残留孤児国賠訴訟京都原告団長の奥山イク子さんが闘病の中、亡くなられた。

 私が奥山さんに出会ったのは忘れもしない06年12月1日、兵庫県の残留孤児たちが国家賠償訴訟で勝訴した日だった。判決後、原告や支援者が集会室に集まった。その時兵庫原告団の初田光雄団長と涙ぐみながら勝訴を喜ぶ女性がいた。撮影はしたが、顔も名前も覚えられないままだった。私は兵庫原告の勝訴の後、神戸で写真展を開催した。その後、京都在住の残留孤児の写真展を開催してほしいとの依頼があった。私は毎日新聞樋口記者と共に、伏見区小栗栖の県営住宅を訪ねた。その時再会したのが勝訴判決後に初田団長と勝訴を喜び合っていた女性、京都原告団長の奥山イク子さんだった。奥山さんは流暢に日本語を話し、取材に通訳は全く不要だった。57歳で帰国した奥山さんは懸命に日本語を学習した。医療用語に至るまでたくさんの辞典をもっていた。奥山さんは「私はたいへん親切な生活指導員に恵まれた」という。電話で要件を話す時でも、「奥山さんその言い方は違うよ」と言われ、正確な日本語で話し直したという。「私はその指導員のおかげで日本語の学習ができたのよ」と喜んでいた。奥山さんが住んでいた小栗栖の県営住宅には大勢の残留孤児の家族が暮らしている。日本語を覚えた奥山さんは支援者と共に団地の集会所で日本語教室を開催していた。その世話もしながら、後から帰国した残留孤児たちの役所の手続きや2世の就職の世話もしてきたという。

 13年9月、私たちは奥山さんを尼崎に招き「第一回中国残留日本人への理解を深める集い」で話をしていただいた。奥山さんは「私たちが残留孤児になったのはこの国が起こした戦争のせいなのです。戦争の悲劇は絶対に繰り返さないで」と流ちょうな日本語で訴えた。その後、彼女は怪我で動けなくなり、外出が叶わない中でも若い人たちを自宅に招いて平和への気持ちを訴えつづけていた。その奥山さんがみんなに惜しまれ、見守られながら天国に行ってしまった。彼女は中国残留日本人として、この国の平和を願う熱い言葉を私たちに残してくれた。

                            (宗景 正)




















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